レモンと塩

好きなこといろいろ

つめをぬるわたし

ここ数年、爪を塗ることに夢中になっているんだけれど、そういえば私、昔からマニキュアが好きだったような気がする。

子どもの頃の、ぺろんとはがせるタイプの蛍光クリアピンクみたいな色の水性マニキュアから始まって、ボールペンみたいなかたちのマニキュアも持っていた。多分、ご近所物語のやつだった。これも鮮やかなクリアピンクだった。

小学生のとき、文化祭みたいな何かのイベントで、高学年のお姉さんがキラキラの銀のラメがたくさん入った大人のマニキュアを塗ってくれた。くさいけど、いろんな色がある、お風呂に入っても落ちない大人のマニキュア。除光液がなかったから、ボロボロになってはがれるまでずっと塗りっぱなしにしていた。

親戚のおばさんが、お彼岸のお墓参りの帰りに、コンビニで売っている大人のマニキュアを買ってくれたこともある。ミルキーなピンク色で、きれいに塗るのがとても難しかった。
『りぼん』とかに時々ついてる、ネイルシールや紙のつめみがきの付録も好きだった。


手や足の指先は身体の端っこで、なんとなく「終わりのところ」というイメージだったけど、今の私にとっては完全に「始まりのところ」だ。

普通に生活していたら顔よりも何よりも見る頻度が高いし、手指がいい状態だと大丈夫でいられる。特別ステキな状態だと、もう大丈夫どころか最強でいられる。手指がどうなっているかが、心の状態に大きく関わる。

私は自分の手が、指が、爪が大好きで、そこだけは昔からずっと、自信を持って好きだと言える。

かつては嫌味のように「働かない人の白くて細くて綺麗な手だね」と言われて、ゴツゴツのガサガサの日焼けした手になればいいのかと思ったこともあったけど、今はもうそんなこと言われてもどうでもいいと思えるようになった。
それなりに働いて、それなりに使って、でも手入れをして綺麗にしておこうと意識していて。その結果が、今ある大切な手だ。昔よりは少し指の節が太くなって、爪が平たくなって、痩せて筋が浮くようになったけど、少し大きくてきれいな、私の大好きな私の手だ。


所謂セルフネイルをするようになって、そのネイルの写真をTwitterにのせるようになったことで好きになれたのは、自分の手や指や爪だけじゃない。

セルフネイルの写真を見てくれた人に“美しさ”を褒められるとき、それは持って生まれた手指や爪の美しさであったり、意識的にケアをするという努力が生んだ手指や爪の美しさであったり、ポリッシュを塗る技術によって生まれる、つるんとムラのない質感の美しさであったり、色やパーツの組み合わせを考えたセンスによって生まれる美しさであったり、あるいは、そのネイルの写真を撮る技術やセンスが生んだ美しさであったりする。

なんと言うのか、持って生まれたものも、努力で勝ち取ったものも、みんな全て褒められているという気持ちになれることがあるし、誰に褒められなかったとしても、自分では爪を見るたびにそう思っている。

ああ、今回もきれいに塗れたな、この色私の肌に合ってるな、このラメが可愛いな、このパーツも可愛いな、つるつるで最高だな、写真にちゃんと細かいラメが写ってるな、色味も正しく伝わりそうだな……
そんなことを思ううちに、自分のセンスも好きになれたし、好きなことを続けるうちにだんだん上手くなることの楽しさ、嬉しさも思い出せた。

ずっと、自分にはこれといった趣味がないと思っていたけれど、これは十分に趣味だ。
そんなに頻繁にできるわけでもないし、ポリッシュを買い集めてコレクションしているだけになっているな、と思うこともあるけど、今のところ一番気楽に自分のペースで続けられている、自分の好きなことだ。

爪を宇宙にしたり、海にしたり、果物にしたり、花にしたり、宝石にしたり、推しの色にしたり、服と合わせたり、映画のイメージにしたり。
こんなに小さなところに色を塗っただけで、あるいは色を塗らなくてもツヤツヤにしただけで、こんなに嬉しくなって楽しくなって、心がウキウキするんだ。


これからも、自分のために楽しんで爪をかわいくしていたいな。
もう少しあったかくなったら、爪にお花をたくさん咲かせるんだ。

きっと、とてもかわいいし、そうしたらきっと、わたしはとてもしあわせな気持ちになる。