レモンと塩

好きなこといろいろ

缶詰のさくらんぼをのせて


「あたしをフルーツに例えるとしたら何って訊いたの。そしたらなんて言われたと思う?缶詰のチェリーだって!“缶詰”のチェリーよ?なんか、もっとフレッシュな、レモンとか苺とかさぁ…そういうのが良かった」


去年の9月、ずっと好きだったドラァグクイーンの方が定期的にやっているバーのイベントに、初めて行った。自分の気持ちとしてはもう、“行った”なんてもんじゃない、意を決して飛び込んだという感じだった。
一人飲みもしたことのない人間が、心臓をバクバクさせて手を震わせて、中からにぎやかな笑い声の聞こえてくる扉を開いたら、憧れの人に「ひとり?よく来たねー!おいで!」と迎えられて、泣くほど嬉しかった。この歳になって、ひとりでお店に来たというだけのことをそんなふうに褒めてもらえると思わなかったし、実際私はそんなふうに迎えられたい気持ちでいた。私の怯えや覚悟を感じ取って、きっとそう迎えてくれたのだろうということが、とても嬉しかった。やっぱりこの人に会いに来てよかったと確信した瞬間だった。

飛び込んでみたはいいものの、恐らく数十分の間、私は緊張してカウンター席に座り、盛り上がっているテーブル席の方にすっかり背中を向けた恰好で、ひとりビールをちびちびと飲むだけだった。

ドラァグクイーンのその人は、私の背中側にあるテーブル席の真ん中、みんなの輪の中心にいて、楽しげに会話を盛り上げていた。

せっかく来たけれど、知ってる人もいなくて緊張してるし、ガチガチで振り返ることもできないし、面白い話も特にできないし、緊張してるし、こんなに距離が近いと思わなかったので緊張してるし、緊張していたし、更に言うと本当に緊張していた。

そんな状態のまま、背中で聞いていたのが『フルーツに例えるなら』の話だ。

テーブル席のお客さんたちは楽しげに会話をしていて、缶詰のチェリーわかる!フレッシュなフルーツのイメージはないなー加工品って感じ、などと笑っていた。
私はというと、声にできない「私は缶詰のチェリー、いいなと思います。とても素敵だと思います」という言葉を、苦いビールで少しずつ飲み込んでいた。話に入るタイミングが掴めなくて、勇気がなくて、喉がぐっと詰まる感じがした。振り向きたいのに振り向けない首が、油をさしていない錆びついた機械みたいにギシギシと軋んでいた。

あなたは缶詰のさくらんぼ。
可愛い姿、鮮やかな色。あなたがてっぺんにいないと完成しない。
そう思うと、とても素敵だ。

パフェのてっぺん、クリームソーダのうえ、赤いさくらんぼが乗せられたら「完璧!」と言いたくなる。

あなたが可愛い美しい、華やかな鮮やかな姿で現れて、「完璧!」と思う人がきっといるんだ。それって、なんて素敵なんだろう。そう思った。


缶詰のさくらんぼ、私は好きだ。
味が特別好きなわけではないけれど、あの赤さと、小ささと、かたちと、役割が好きだ。

プレゼントにかけられたリボンみたいな、クリスマスツリーのてっぺんの星みたいな、主役ではないかもしれないけれど無いと完成しない大切なもの。最後の仕上げに必要なもの。


終電までそのバーにいて、運良く自分もたくさんお話ができて、とても素敵な出会いもあったけど、結局、缶詰のさくらんぼの話はもうしなかった。

でも、帰りの電車に乗りながら思っていた。
今日、私の9月のてっぺんに、仕上げの可愛いさくらんぼがのった。「完璧!」と笑って、私は揚々と10月のほうへ歩き出した。


缶詰のさくらんぼ。
私が夢を見ているのかもしれないけれど、あの人を“缶詰のチェリー”と言った人にはそんなつもりはなかっただろうけど、私にとっては、新しくて楽しくて特別だったあの日の象徴になってしまった。
今思うと、みんなの真ん中で会話のバランスをとりながら笑っている姿は、全体のバランスをまとめるようにパフェのてっぺんにのり、つやつやと赤く輝いているさくらんぼみたいだったような、そんな気だってしてしまう。
これから先、何年か経ってあの日のことを思い出すときも、きっとそんなふうに思うんだろう。


パフェのてっぺんに、クリームソーダのうえに、私のなんでもないような日々に、缶詰のさくらんぼをのせて「完璧!」と思えたら、きっと、私はちょっと幸せになれる。


そう感じた、去年9月の思い出話。